このコラムでこれから3回かけて、大学の学費無償化について書いていきたい。高等教育の無償化は、昨今、政治の場面でよく話題に上る。憲法改正論議の中でも、複数の政党がなんらかの形で、教育無償化について触れている。
憲法という国の根幹にかかわる問題だから、読者の皆さんもぜひ、真剣に考えてほしいところだ。そして、大学の学費無償化は、最終的には「就活のありかた」にまでつながる。
まず、よほどの金持ちの家庭でもない限り、大学の学費は家計を圧迫する。だから、無償化は政治家にとっては人気取りの政策になりそうだが、各種アンケートを見ると、賛成はそれほど多くない。無償化すれば、その分、税金が高くなると考えて、ちゅうちょする人が多いのだろう。
「一部賛成」という人からは、裕福な家庭まで無料にすべきではないという声が聞こえる。そこで、家計に余裕のない家庭にのみ、給付型の奨学金を用意する、という方向が落としどころとして模索される。
ところが、この方式だと、世帯収入や資産を念入りに調べられることになる。受給者には心の傷になるかもしれない。また、数字をごまかして不正受給を受けるケースも出るだろう。こんな感じで話が進まなくなる。本当はここから先が大事な論点なのだ。
今でも大学生余りが指摘されているのに、無償化によってこれ以上大学生が増えたらどうなるのか。その交通整理をしておくべきだ。
ここで、大学の学部構成を振り返ってみてほしい。近年、真新しい名前を付けた学部は多々生まれているが、基本は、以下の学部となる。
法律・政治・経済・商学・文学・教育・理工・医歯衛生・農獣。1世紀以上昔の旧制大学時代から、それもかつては10足らずだった大学が今は800にせまるのに、学部構成の基本は変わらない。本当にこれでいいのか?
とりわけ、文系学部は、社会が求めるものとの齟齬(そご)が大きくなっている。卒業後に、政治家や法律家、文士になれたり、経済数理を扱う仕事に就けたりする人は数少ない。専門が生かせないのだ。
「いや大学では専門知識以外にも学ぶことはある」という反論もありそうだ。それはごもっとも。ならば、学部構成はあえて100年前の形でなくともよくはないか?
このように日本では、無償化をめぐる議論がいろいろあってまとまらない状態だ。そこで次回は、一足先に大学無償化を実現している欧州諸国の状況を見ていくことにする。
(雇用ジャーナリスト)