「体育会系のサークルに所属していると、採用選考で有利なのですか」
こんな質問が就活生からよく寄せられる。
正直に言おう。同じスポーツ系サークルでも、同好会より体育会系の学生を企業は好む。
それは、過去から連綿と続く先輩後輩の連帯的なものがあるからだろう。そんな派閥的な理由を挙げる人がいるが、それは間違いだ。
たとえば、全く採用実績がなく先輩入社者がいない、つまり、先輩との連帯も何もないサークルでも体育会系出身の学生は好まれる。
その理由は以下のようなものだ。
体育会系は、ハードな練習が課される。そして、勝利に向かってひたむきに頑張ることが要求される。
こうした環境で長く育った人たちだから、一般的に忍耐力・継続力・達成意欲などが培われている。
社会人になれば、仕事の節々で難関にぶち当たる。それを乗り越えていかないと、キャリアはまっとうできない。そんな時に、体育会系で培った力が生きてくるのだ。
そのほかにも体育会系サークルは、社会人にとって重要な力をはぐくませてくれる。
まず、体力がある。そして、集団の中で過ごすため、人を嫌わない、人に嫌われない、という力も養われる。
当たり前のことだが、企業も「組織」であり「集団」なのだ。だから、こうした力はとても重要となる。
ここまで書くと「なんだ日本の企業は、いまだにそんな、唯々諾々と組織のいうことを聞くような奴ばかり好むのか」と批判の声が上がるかもしれない。
こう批判する人は、「欧米を見習え」と、米国・シリコンバレーにあるような最先端のクリエーティブな企業を例示しながら「個性的で一癖あるような異能者をいかすべきだ」という。その趣旨は賛同するが、ただし、それは、ほんの一部の会社の話だ。
洋の東西問わず、会社とはやはり組織であり集団だ。異能者が多いと、船頭多くして船山に上る、状態となってしまう。だから、欧米の多くの企業も、やはり大多数の社員には唯々諾々型の頑張りを望む。
その様は、アルビン・トフラーの名著「第三の波」にも示されているし、これまたベストセラーとなったウィリアム・ホワイトの「オーガニゼーション・マン」は、書名そのものが「組織のなかの人間」だ。
知り合いの外資系企業に聞いても、やはり体育会系出身者を好むというから、日本企業に限った話ではないのだ。
(雇用ジャーナリスト)