しばらくの間、人工知能(AI)の浸透とともに「働く」がどう変わるかを論じてきた。その締めくくりとして、今回はAI時代の教育について考えていきたい。
近い将来、AIの発達で難関資格が必要な職務も機械が代替するようになる。一方、物理的・対人的な仕事が含まれる普通の職務は残る。ただし、それぞれの仕事の「核」となるようなコツ・ツボ・判断業務はAIが担当し、人間には簡単な誰でもできる仕事しか残らなくなる。それでも、AIが熟練の職人並みの技を繰り出すため、労働自体の生産性は増し、少子化の人手不足も相まって、給与・待遇は上昇していく。こんな「すき間労働」が広がっている。
このころになると、人は苦役から解放され、高給で余暇を楽しめるようになる。そして、一つの仕事に飽きたら、まったく違う分野の仕事に就くこともできる。たとえば、ケーキ屋から花屋さん、そしてアクセサリー屋さんなどに仕事を変えていける。自分の趣向にそって自由にキャリアを描けるようになる。難しい仕事はAIが担当し、人には簡単な仕事しか残らないから、未経験分野へもシームレスで入職できるのだ。
こんな時代にマッチするにはどんな風に育てれば良いかわからなくなってしまいそうだが、案外、現在の教育方針がそのまま生きることになりそうだ。
まず、いくらでも仕事は変えられたとしても、どの職場でも周囲とうまくやっていけない人は使いものにはならない。時間に遅れる、約束を破る、ウソをつく、けんかをする。そういう人はやはり、嫌われるだろう。
また、仕事はAIが難しい部分を判断・指示してくれるが、それを忠実にこなさない人は使いものにならない。いいかげんな人はやはり通用しない。何より、ルールに従って黙々と処理をする仕事は機械に代替され、人に残るのは対人要素が主になっている。外向性・協調性は今以上に重要視されるだろう。
こうした時代でも店長やマネジャーなど「上」に立つなら、たくさんのスタッフを管理せねばならない。面倒見がよいことや、精神的安定性が求められるのは間違いない。
そのころ最も難しいのは、ライバル企業が多数いて、彼らもAIを使って戦いを挑んでくるような営業合戦だろう。それは相手のAIの上を行く、創意工夫や不屈の精神が必要となる。
そう、キャリアフリーの時代でも、働く人に求められるものはそれほど変わらないのだ。考えてみれば、大昔と現在では技術レベルは大いに発展し社会も変わったが、仕事に求められるものは大して変わっていない。それと同じなのではないか。
(雇用ジャーナリスト)