いよいよ就活本番に入る。この時期は毎年のことながら、採用面接についてどう臨むべきか、をしばらく書かせてもらうことにする。
今年もいくつかの大学の就活対策授業を拝見させてもらった。リモート開催が多いため、今までよりも参加数は増えたくらいだ。そして「ああ」と嘆息することが何度かあった。
いまだにお辞儀の角度とか、言葉遣いについて指導しているケースが散見されたからだ。また、エントリーシートの添削などでも、中身よりも修辞や敬語的なことを優先して指導するケースも同じように見られた。
こういうのを見ると「なぜ、キャリアの指導官は企業の本心がわからないのだろうか」と不可思議に思う。企業側には面接でチェックするポイントのリストのようなものがあって、面接官はそれがしっかりできているかいないかで評価するとでも考えているのだろうか。
実際は、そんなことはどうでもいい。なぜ面接をやるのか、それも最終面接などはいまだにリアルで会うのか、の意味を本気で考えてほしい。
企業は、一人の学生を採用することで、毎年数百万円の給料を支払うことになる。社会保険やその他の投資も含めれば額はさらに上がる。そして65歳の雇用終了までそれが積み重なると、軽くン億円にもなるだろう。
こんな大金を支払う可能性があれば「損」はしたくない。では損はどういう状態で発生するか。これも簡単だ。「自社の仕事がうまくできない」か「自社の仲間と打ち解けられない」か。いずれも会社が損をするのは火を見るより明らかだろう。
だから面接で「うちの会社の仕事に合っているか、仲間(社風)に合っているか」を見ているのだ。
とすると、面接で知りたいのは、学生の素の姿なのだ。その際、たとえばお辞儀の角度が多少緩くても、緊張してうまく話せなくても、問題ない。そんな「表層の衣装」で点数を決めてしまったら、損をする可能性が高くなるからだ。
柔らかい社風の会社もあるしその逆もある。だから一概にどんなタイプが良いとは言えない。同様に仕事も千差万別だから、ある会社に合う学生が他の会社には不適合になることが多々起きる。「こうすればどこでも受かる」などという黄金律など存在しはしない。
確かに、がちがちのお堅い企業ならば、お辞儀の角度や敬語、エントリー文の修辞にこだわることもあるだろうが、それこそ稀(まれ)だ。企業は自社にあった人が欲しい。だから学生の素が見たい。これが分からない指導官はよほどお堅い企業に在籍でもしていたのだろう。
(雇用ジャーナリスト)