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【就活のリアル転載】壮年の就労困難者 社会の側から歩み寄りを 海老原嗣生(2022/11/22付 日本経済新聞 夕刊)(2022/12/01)


 就労困難な壮年者の問題について、踏み込んで考えることにしよう。ひきこもりは50代以上の中高年も多く、8050問題(80代の親が50代のひきこもりの子を支える)などと呼ばれている。こうした現象は、平成になってとみに騒がれるようになった。だから、今日的な課題だと考えがちだ。

 だが、私の解釈は全く異なる。確かに問題となったのはここ数十年なのだろうが、就労困難な人は昔から存在した。それが、過去は問題にならないような社会構造だった、という方が正しいと思っている。

 対人折衝が苦手で社会不適合などと呼ばれる人たちも、かつては彼らが苦痛に感じないですむ仕事がそこかしこにあったのだ。農林水産業などはそのひとつだろう。家族で暮らし、他人とは最小限の関わりしかなくても、一生過ごしていけただろう。製造業や建設業というと、多少、事業所の規模は大きくなるだろうが、それでも他人と口を利かず、機械や工具を操るだけでも生活が成り立つことがあった。

 サービスや販売などの接客業でも、今のような大規模店舗ではなく、個人の自営業が多かった。客が来なければ家事などをし、来客時だけレジに立つというスタイルの店もあった。

 我が家の子供が引っ込み思案で人見知りだった場合、周囲を探せば、自営業や町工場、はたまた農家などの親戚がおり、そこに預ければ何とか就労することができた。

 そう、無理をしてまで人と接する必要など全くない社会だったのだ。

 それが、昭和のある時期から次第に農家・町工場・自営店が激減し、預ける先がなくなっていった。そうして、「ひきこもり」という名前が付けられたということなのだろう。

 翻って考えれば、過去、連綿と存在した彼らを、無理やり「人と接しなければならない職場」に追いやる現代社会こそが間違っているといえまいか?

 彼らがおかしいのではなく、社会が勝手な進化をしてしまったことが問題だったのだ。

 私も大学で教えるようになり、気が良いタイプなのに、気弱で引っ込み思案という学生をよく見る。彼、彼女らはえてして過酷な就活で心を痛め、会社で働くことに後ろ向きになっていく。

 昨今はパワハラが問題となる社会なので、さすがに「もっと強くなれ」「そんなんじゃ、社会では通用せんぞ」などとは言わなくなった。だが、ちょっと前の時代には、そんな言葉が平気で若者らに浴びせられていたのだ。それは、女性や性的少数者に対して、過酷な発言がかつてなされていたのと同じだろう。

 就労困難者の問題に関しても、間違っていたのは昭和のある時期以降の社会の方であり、令和の今は、社会の方から歩み寄っていかねばならないと感じている。

(雇用ジャーナリスト)


     

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