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【社会に出る学生のための人権入門】(第45回)人権確立と企業経営は一体(2021/05/13)


 米国では30年以上前の1990年7月26日、全米障害者法(略称「ADA」)という法律が成立した。日本においても今日では障害者差別解消法や改正障害者雇用促進法等が施行されているが、この法律は当時の日本からみれば画期的なものであった。

 例えば、車椅子の人が他人の手助けなしで、自力でどこへでも行けるようにするという法律である。自宅から出て車椅子に乗っている人が路線バスに自力で乗ることはできない。米国のバスは、この法律が施行されてから原則として車椅子の人が他人の力を借りずに、自力で乗れるリフトをバスに取りつけることを義務づけられた。映画館、ガソリンスタンド、スーパーマーケット等、全ての公共的な施設でそのようにしなければならなくなったのである。

 鉄道も、原則として一両は車椅子の人が自力で乗れる車両にすることになった。この法が施行されて、象徴的にエンパイアステートビルの所有会社が訴えられることになった。エンパイアステートビルの最上階の二階分はエレベーターがなく、階段を上らなければならなかった。車椅子の人が自力で行けないことによって、差別ビルだということになったのである。

 当時、日本では小学校や中学校でエレベーターの設置されている学校はほとんどなかった。しかし学校には障がいを持った車椅子の子どもたちも通っている。そうした現状や全米障害者法の影響、高齢化社会の影響もあって、学校にエレベーターを設置していくという方向に徐々に変化し今日のように整備が進んだ。

 小学校や中学校には三・四階建ての校舎がたくさんある。車椅子の子ども達は段差をなくせば水平の移動はできるが、垂直の移動はできなかった。垂直の移動を可能にするためには、エレベーターを設置する必要があった。当時でも、三階建ての校舎に小さなエレベーターを一機設置するだけで約一億円かかるといわれていた。全国の小中高等学校の数を考えれば相当な金額になる。

 全米障害者法が成立したときに、多くの企業は反対していたが、賛成していた企業もあった。エレベーターを設置する会社をはじめ障がい者に貢献できる会社、建設会社も賛成していた。企業負担もあったが、そのことによって仕事が増加することになった。このような動きはその後の企業の在り方を示すことになった。こうした動きは現在のSDGsに結びついており、今では脱炭素やグリーンエネルギーがビジネスの重要なキーワードになった。

北口 末広(近畿大学人権問題研究所 主任教授)


     

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