前回に引き続いて米デュポン社のCEOであったウーラード会長の環境面のチャンスをつかみ取った決断について解説していきたい。
1989年9月30日に「オゾン層保護条約モントリオール議定書」が発効し、2000年までに特定フロンを全廃することが決まった。現在では2050年にカーボンニュートラル、二酸化炭素の放出・吸収をプラスマイナス0にするという目標がある。当時は特定フロンの全廃が最も重要な課題であった。しかし特定フロンは電子部品とりわけ半導体の洗浄になくてはならないものであった。現在においても半導体は産業の「米」と言われるようにあらゆる機器に使用されている。半導体の供給が滞ることによって、自動車の製造が著しく遅れる事態が実際に起こっている。当時もパソコン等の普及によって半導体の製造・供給・洗浄は極めて重要な問題であり、特定フロンの約6割は半導体の洗浄ために使用されていたといわれている。その特定フロンを2000年までに全廃することを規定した条約が発効したのである。こうした動きがデュポンの業績に大きな悪影響を与えたことはいうまでもない。しかしウーラードはそれをチャンスにした。
前回紹介したように彼は1990年5月の英国ロンドンでの講演で「我社は特定フロンの製造を中止する」と宣言したのである。その宣言の後、「21世紀が始まる頃に世界の主要な地位にある企業は環境面の責任を認識しつつ環境上のチャンスをつかみ取る企業だ」と述べたのである。21世紀に入る約10年前の発言である。彼も環境面の責任をふまえて苦渋の決断をしたんだろうというのが国際社会の受け止め方であった。特定フロンの全廃を規定した2000年まで約10年もあるにもかかわらず業界の先陣を切って決断したリーダーシップを高く評価された。その後の彼の「環境上のチャンスをつかみ取る企業」という発言はそれほど重視されていなかった。しばらくしてその言葉の重要性とビジネスリーダーとしての本領を多くの人びとは垣間見ることになった。多くの特定フロンを製造していた企業もデュポンに追随する形で特定フロンの製造中止を発表するようになった。これだけであればビジネスリーダーとして自社の損失を決断してまで地球環境保護に貢献した美談になるだろう。
しかし一方で特定フロンの製造中止を前倒しした決断は、半導体等の電子分品を洗浄するための特定フロンの需給逼迫という事態を生み出すことにもなった。彼はおそらくそうした事態になることを見抜いた上で、ビジネスチャンスだという認識もあったのだろう。彼はそうした事態を見事にビジネスチャンスにした。その後の展開は次回に詳述したい。
北口 末広(近畿大学人権問題研究所 主任教授)